十勝と帯広
本題に入る前に、「そもそも、十勝と帯広って同じ場所のことなの?」という方もいるかもしれないので…
十勝:北海道東部に位置する1市16町2村の地方。人口約35万人、牛約45万頭。
帯広:十勝地方の中心都市。人口約17万人。
地図で言うと、こんな感じです☟

「北海道らしさ」に満ちた場所
十勝や帯広と聞いて、一般の(十勝や帯広にこれといって縁もゆかりもない)方々は何を連想するのでしょうか。
- 自然が豊か
- 酪農が盛ん
- 農業が盛ん
- 食べ物がおいしい
- お菓子がおいしい(六花亭、柳月…)
こんなところでしょうか。とどのつまり、「自然」に集約できる気もしますね(笑)。最近では、NHK朝の連続ドラマ「なつぞら」や映画化もされたアニメ「銀の匙」で知ったという方もいるかもしれません。
札幌のように大都会ではないし、小樽や函館みたいに風光明媚な観光都市でもない。旭川のように有名な動物園があるわけでもないし(帯広にも半世紀以上前から動物園はあります)、釧路や根室とともに「道東」に分類されるけれども、釧路湿原や摩周湖、知床といった全国的にも知られた景勝地からは遠い…。

なんだか書きながら申し訳なくなってきましたが、要は「何もない」場所です(笑)。正確に言えば、「自然と畑と牧場以外何もない」場所。でも、それこそが北海道らしい風景だったりします。
おそらく皆さんが、北海道と聞いて思い浮かべる牧歌的な風景。そんな景色に出会えるのが、十勝・帯広です。
はじまりの歴史
北海道はかつて蝦夷地と呼ばれ、先住民のアイヌの人々が独自の文化を築いていました。そこへ本土(北海道の方言では「内地」と言います)から和人が渡島半島(函館のあたり)へと訪れ、アイヌの人々と交易をしながら徐々に活動の範囲を広げていきます。
江戸時代末期には、北海道(北加伊道)の名付け親である松浦武四郎が十勝を詳しく調査し、「将来有望な地」として書き残しています。
帯広に本格的な開拓の鍬が入ったのは、明治16(1883)年のこと。依田勉三率いる「晩成社」の一行27人が入植しました。しかしながらこの晩成社、冷害やバッタ、ノネズミの襲来などを幾度となく受け、苦難の連続だったであろう開墾生活虚しく、事業としては失敗に終わりました。

十勝の開墾は、その後も本州からの開拓移民により進められ、晩成社の入植から10年後の明治26(1893)年には集落が形成。その2年後には市街地の基礎となる「大通」が整備されます。その後、明治35(1902)年に帯広は十勝で最初の町となり、昭和8(1933)年には市制が施行されました。

蛇足ですが、帯広に本社を置く六花亭の銘菓「マルセイバターサンド」は、晩成社が製造したバターの商標「マルセイバタ」にちなんだものです。その際に使用されたラベル(晩成社の「成」の字を丸で囲んだもの)がパッケージデザインとして使用されています。
開拓精神と「オベリ魂」
帯広という地名は、北海道の地名の多くがそうであるようにアイヌ語に語源を持ち、「オベリベリ=川筋が幾重にも分かれているところ」という言葉から来ています。
北海道の多くの地域が明治政府が派遣した「屯田兵」によって開墾されたのに対し、十勝の開拓は晩成社をはじめとした民間の人々の力によって成されました。
そういった意味において、十勝はまさに「開拓者の郷」なのです。
オベリ魂という言葉があります。かつてオベリベリの地を命を賭けて開墾した先人たちの魂。新たなことに挑戦し、困難に立ち向かう開拓精神を表したこの言葉は、今なお、十勝・帯広で生まれ育った人々の中に脈々と息づいています。
※参考記事
「語り継がれた帯広の歴史」 帯広市ホームページ